2013年3月28日木曜日

かくし味


静岡へ演奏に行く前の晩
公私ともお世話になっている方のお父さんが亡くなられたことを知る

ご自宅や寿司屋でお会いし食事させていただいた事があるのだが、ここ数年は入退院を繰り返されていた

危険な状態が何度となくあり、そこから快復される度にオヤジは不死身ですから、と笑って聞かせ下さった


「最高に強くて粹な男でした」


と息子から想われていた父

前のブログには以前に書いたけど(http://soundhole.jugem.jp/?eid=45)
僕の父親は僕が中学生の時に死んだ。
だけどその時は全く泣かなかった。

それなのに、静岡への帰り道ではずっと泣き通して帰り、行きつけの風呂屋で充電した後、翌日の葬儀に参列させていただくべく大阪へ向かう道中もまた泣き通しだった

どうして自分の父親の時には泣かなかったのに今こんなに悲しいんだろう


どうしてこんなに心がふるえるのだろう



「うまい店があるんですよ」

と、いつも美味しいお店に連れて行ってもらってたけど、あの日もそんな感じでワクワクしながらお店に入ったのを覚えている


千里のたこ焼き屋。


しかし後日、2度ほどひとりでも行かせてもらったのだが同じ味ではなかった

連れて来てもらった時のワクワク感が無いのである


それがずっと不思議だった


だけどツイッターで「父危篤、思い出のたこ焼きを喰らう」とつぶやきに貼り付けられた写真を見たらあのたこ焼きだったのだ


だからあんなに美味しかったのか

少年の心で味わっている人といるから僕もあんなにワクワクしたのか


きっと


いつも強くて頼もしい男から垣間見得た少年の心、親の前ではいくつになってもあの頃のまま、純粋な子どもの姿。

僕は父親が死んだ時に泣かなかった
それより自分がどうなるのか怖かった
それより泣くことがかっこ悪いと思ってた
素っ気なくしてる方がカッコいいと思ってた
親が死んでいるのに周囲の眼を気にしていた

素直じゃなかった

僕は悲しかったし泣きたかったのだ

静岡からの帰りに泣き通したのは、僕の心も少年に戻して下さったから


葬儀の帰り、千里のたこ焼き屋へ寄り、亡くなられたお父さんのことや自分の父親のことを想って食べました


そうしたら、はじめて連れて来てもらった時のあのワクワクする味がしました


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