あっという間に、アメリカから帰ってきて1週間が経ちました。
帰りの飛行機では時差ぼけになるまいと薬飲んでソッコー寝るつもりがカバンに見当たらず、スーツケースに入れてしまったようで映画3本も観て一睡もせず目玉ランランのまま到着。
この1週間は見事に時差ぼけにやられてました。
帰って来てから、アメリカどうやった?と聞かれるのだけど、色んなことがあり過ぎて、もはや塊になってどこをどう話してよいのかわからず「良かったです」としか言えない...
でも確実に自分の中で何かが変わった、その感覚が少しずつ浸透していくのを感じています。
そんなこと想像もしていなかったけれど、今回の旅は自分の中の軸というものをしっかりと作ってくれました。それが僕が旅から得たもの。
それは、
全てが最先端だと思っていたニューヨークの地下鉄が階段が多かったこと
しなしなのドル札を券売機が読み取らないこと
自動改札でメトロカードをなかなか認識してくれないこと
タイムズスクエアではいくつもの巨大な画面から流れる映像がひしめきあって夜空を彩るのに、すぐ隣のブロードウェイでは古い劇場で色褪せた椅子に座りミュージカルを心から楽しむ人たちがいる
隣に座ったご夫妻はセントルイスからビジネスでニューヨークに来ていると言うのでiPhoneでセントルイスの画像を検索したら、ものすごく大きなビルが出てきて、ここがあなた達の家ですか?と冗談でいったら「そうよ(´・_・`)」とサクッと言われて「ですよね〜( ^ω^ )」って英語誰か教えろと思ったこと
地下鉄でも劇場でも、知らないひと同士がすぐ仲良くなる
スターバックスはいつも満席
巨大なセントラルパークという公園には犬を4頭引き連れて散歩をしているひとがざらにいる
念願のジャズクラブに来た高校生は財布の中身を何度も気にしながら恐る恐るオーダーをする
人々の生活を垣間見ることで、この大きなアメリカという国も僕と同じ生身の人間が動かしているのだと、当たり前のことに頭では無く肌で感じる。
その温度を
モンスターではない
僕が憧れた超絶ギタープレイも、FacebookもGoogleもAppleも
同じ人間の、同じ脆さと儚さを持った人間の業なのだ
喜び、笑い、悲しみ、そして涙するのだ
その温度
これだけは映像で観ただけでは伝わらない
僕はわかっていなかった
わかっていたつもりだし、誰かからそう言われれば、そうだろうね、そんなこと当たり前、わかるよと言うだろうけど
そして僕が彼らから学んだことは、オンとオフの切り替えの早さ
一瞬で察知し、一瞬でトップスピードに達し、一瞬で獲物を捕るチーターのように
やはり人間も動物なのだ
常にトップスピードで走り続けることはできないのだから
その時を嗅ぎ分ける嗅覚が必要であり、それは日々の訓練と経験の積み重ねである
サバンナに生きる動物たちは、嗅覚が鈍ればそれは死を意味するのであり、生きていくためには敏感にならざるを得ない
フィールドやその目的はひとそれぞれ違えど、僕は僕のサバンナを生き抜こうと思う
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