先日
とあるレッスン会場へ到着した時のこと
最近は電車に揺られて向かっているわけだが、新快速が停まらない駅なので本数が限られるのだ。
遠い場所になるほど早く着きすぎるか遅刻するかのどちらかになることがよくある。
当然
早く着くようにするわけだが、お店に入ってコーヒーを飲むには中途半端な、一番やっかいなパターンの日
そんなわけで会場に着いてから建物の中には入らず、駐輪場の横にある非常階段に座り込んで缶コーヒーを飲んでいた。
ふと
視線を右へやると、僕が座っている階段の一段上に一円玉が三枚置いてある。
落ちている、というより置いてある、というな佇まいなのである。
とても気になりはじめ、これが置いてあるとしたら、何かのお供えか?はたまた何かの儀式か?
いずれにせよ、誰かの想いが込められたものなのだろうか
なんとなく
ツンツンしてみる
やはり一円玉のようだ
しかし特別なものに感じられる
うーむ
考え込んでいるうちに、そもそも小銭というのはため込む人もいるだろうが、やはり流れていくもの、人の手からまた誰かの手へと巡って旅をしているものだから、これは誰かに託されたものではないかと思いはじめた。
さらに考えは巡り、三円という金額
決して大金ではないし、置いたのはきっと子供だろうなと思い、このまま置いておいたほうが良いのか、それとも三円落ちてましたと持っていくのか、
妙な悩みが生まれた
その三円の佇まいから、何か放っておけない感じなのである
これが散らばっていたら、あー落としたんだなと、きっと何も気にせず放っておいただろう。
必要なら取りに戻るだろう
この特別な三円は、置いておくことを望んでいるのか、やはり見つけた人に託されたものなのか
見つけた人に特別な想いが託されるとしたら、それが僕でもいいのだろうか?
もっと他の国民的美少女を望むのか
はたまた
国民的美少女が国民的美男子に想いを馳せたものなのか
あの人に届きますように。
三円を?
うーむ
とにかく
このまま触らないのが一番かなと思いもしたが、やはり気になる
持っていくか
と思ったが、大切な三円ならいけないし、三円泥棒になるようで気がひける
うーむ
うーむ
あ
そうだ
カバンから財布を出して中を見ると一円玉は二枚しかない。
おろろ
というわけで
五円玉を置いて、その三円を持って帰ってきました
拾った僕に幸運が訪れるかもとか思ってたけど、今財布を見たら一円玉が一枚もない
おろろ
また誰かの手に渡って旅をしているのだな
そして
三円を見つめ続けてレッスンに1分遅刻したことは言うまでもない。
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